朝のうちにあなたの種を蒔け

Ecclesiastes 11:6

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プロフィール

老松望

Author:老松望
KGK(キリスト者学生会) 関西地区(2011-2014年度) 東北地区(2015年度-) 主事

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「この手を少し伸ばせば 届いてたのに」と後悔せぬように…
今日は新潟へ

月例会に参加しました

ほぼ 毎月持たれてる月例会
今回は 某教団の青年会との合同という形でした

学生だけでなく
KGKの卒業生にもお会いできて
お得感のある 集まりでした笑

メインのプログラムは
映画鑑賞
『クリスマス・キャロル』(1984年)を 共に見ました

つきなみ ですが
何処に 宝を蓄えているかを
考えさせられましたね

もっともっと と 手を伸ばすあまり
手元にあるものに 目をやることができない

これも 一つの悪い病ですね…

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コリント人への手紙第一2:6-7

しかし私たちは、成人の間で、知恵を語ります。この知恵は、この世の知恵でもなく、この世の過ぎ去って行く支配者たちの知恵でもありません。私たちの語るのは、隠された奥義としての神の知恵であって、それは、神が、私たちの栄光のために、世界の始まる前から、あらかじめ定められたものです。



「この世の知恵」と どう付き合うべきなのか?
いや そもそも 「この世の知恵」とは 何なのか?
そして
「神の知恵」とは…

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うめきに 鈍感な心 諦めることになれた頭
共にいる主被造物

木曜日の晩
S大での聖研は
こんな質問から始まった

「コロサイ1:23によると、「福音は、天の下のすべての造られたものに宣べ伝えられて」います。なぜ福音は被造物全体と関わるものなのですか(コロサイ1:19,20とローマ8:19-22参照)。」

そこで
指示された参照箇所を順番に読み始めた

すると 一人の学生が
「被造物は 苦しんでるんですか?」
と つぶやくように 尋ねた

他の学生たちも
ピンときていない様子だったので
僕が 説明を加えることにした




動植物の絶滅
生態系の破壊など
彼らが子供の頃から聞かされてきた嘆かわしい現実と
聖書が語っていることを結びつけた

学生たちは すぐに
「あ…そのことか…」
と 納得した表情を見せていた







自然環境の問題については
僕らは 慣れっこになってしまうほどに
聞かされている

ただ
教会の中で
その話題を耳にすることは珍しい
まして 信仰者としての捉え方について考えることは
ほとんどない

僕自身
半ば諦めてしまっていた



でも
神様は 匙を投げてはいない

ご自身の造られた世界に
最後まで 責任を持ってくださる

この課題も 福音の範疇に 入っている



感覚が 随分 麻痺してしまっているから
リハビリが 必要だ

神の被造物に対するこの愛は、私たちに悔い改めを要求する。地球資源の破壊と無駄使いと汚染とに私たちが関与した分について、そして消費至上主義という有害な偶像礼拝に私たちが加担したことについて、悔い改めを迫られるのだ。ひるがえって、私たちは差し迫った預言的な環境保護上の責務に対して、自分自身を献げる。私たちは、具体的な宣教使命として環境の支援運動や活動に召されているクリスチャンを支援する。また、責任をもって治め、管理することにより、人間の幸福と必要に仕えなさいという指令を、真摯に遂行することに献身しているクリスチャンを支援する。被造物自身に対する神の救済の目的を、聖書が明確に語っていることを私たちは心に留める。全人的宣教とは、聖書的な真理を見分け、告げ知らせ、実践することだ。聖書的な真理とは、個々の人間にとって、そして社会と被造物にとって、福音はイエス・キリストの十字架と復活による神の良い知らせだということである。人間と社会と被造物の三者は皆、罪のゆえに損なわれ、苦しんでいる。この三者は皆、神のあがないの愛と宣教の対象に含まれる。この三者は皆、神の民の包括的宣教の一部でなければならない。


ケープタウン決意表明』「7.私たちは神の世界を愛する」より

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コリント人への手紙第一9:26-27

ですから、私は決勝点がどこかわからないような走り方はしていません。空を打つような拳闘もしてはいません。私は自分のからだを打ちたたいて従わせます。それは、私がほかの人に宣べ伝えておきながら、自分自身が失格者になるようなことのないためです。


俺に一番欠けてる部分

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使徒の働き20:28

あなたがたは自分自身と群れの全体とに気を配りなさい。聖霊は、神がご自身の血をもって買い取られた神の教会を牧させるために、あなたがたを群れの監督にお立てになったのです。



寝ぼけてた
なまってた

目を覚まし
気を配らねば…