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朝のうちにあなたの種を蒔け

Ecclesiastes 11:6

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プロフィール

老松望

Author:老松望
KGK(キリスト者学生会) 関西地区(2011-2014年度) 東北地区(2015-2018年度) 主事

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神学校の入学準備をやり直すことが出来たなら5
大学受験の時に 塾の先生から こんなアドバイスを受けたことがあった
「日本史はマニアのような奴がいるから
 問題も難しいし、合格点も高い
 特に思い入れもなく、得意でもないなら
 日本史は受験科目に選ぶな」

勉強に対して何のポリシーもなかった当時の僕は
「そんなものか」と素直にその言葉を受け止めた

けれども
結果的にその助言には従わなかった...

あれこれ迷った末 日本史を選択することにしたのだ

別に反発したかったわけでも 自信があったわけでもない

単純に
世界史に出てくるカタカナの名前が覚えられなかったからだ

後にその判断には苦しめられることになったが
とにかく横文字の人名 地名 国名の暗記からは逃れることができた

受験はそうやって何とか乗り切ったが
8年後に神学校に入った時に 思った
「逃げ切れなかった」
と…

ユスティノス テルトゥリアヌス クリュソストモスなど
発音するのも難しい教会史上の人物の名前に ずいぶん悩まされた

アウグスティヌスやグレゴリオスのように 同姓同名の人物が出てきた時は
「それは反則だろ…」と一人で呟いていた

それより辛かったのは
中間時代(第二神殿期)の歴史

目まぐるしく入れ替わっていく覇権国と支配者たちの名前に 苦しめられた
それでも ただがむしゃらに頭に叩き込もうとしたが
悲しいぐらいに定着しなかった



けれども 今になってみると
一発で覚えようとすることがそもそもの間違いだった とわかる

記憶力が良いわけでもないのだがら
地道に 繰り返し 学ぶしかなかったのだ

特に 概論 入門書を読むことで 備えていれば良かったと反省している



教会史の通史ならば
J・ゴンサレス著『これだけは知っておきたいキリスト教史
中間時代史ならクレマインド文・絵『マンガ 聖書時代の古代帝国
古代教会の歴史ならば
小高毅著『父の肖像 古代教会の信仰の証し人
宗教改革期ならば
K. G. アッポルド著『宗教改革小史』や
吉田隆著『五つのソラから
といった本に触れていれば
かなり違っていただろう

これらの本の全てが バランスよく学ぶのに適しているかはわからないが
基礎知識を得 面白さを知るのには ちょうど良いように思う。



振り返れば 神学校に入る前に 僕が読んでいた歴史神学の本は
C.F. ヴィスロフ著『現代神学小史』一冊だけだった

ただ それだけでもいくらか役に立った
バルト、ブルンナー、ブルトマン、ボンヘッファー(Bばっかり!)のような大御所(?)のことも
少しだけ親しみを持って学ぶことができたように思う



今も同じような「現代神学」のガイドがあると良いのだが
日本語で出版されているのだろうか?



そういえば
「イラストでよむ 神学入門シリーズ」も
なかなかとっつきやすい

気になるものを手に取ってみるのも
入り口としては良いかもしれない

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神学校の入学準備をやり直すことが出来たなら4
神学諸科解題」という名の地図を手にして 大まかなイメージをつかんだら
それを忘れないうちに 神学の旅に出発した方が良い
行ったことのある場所の地名は覚えやすいのと同じで
自主的に学んだことは (きっと)頭に定着しやすい
(本当に「同じ」なのかは 定かではないが…笑)

実際に触れてみることで
地図がより立体的で より身近なものに思えてくる

ただ とにかく始めてみれば 良いわけでもない
急に高い山に登ろうとすると 二度と登りたくなくなるように
いきなり重厚な神学書に取り組もうとすると 心が折れてしまう

最初に何から取り掛かるかは 慎重に選んだほうが良いだろう



僕にとって 最初に手にした 組織神学 教理学の分野の本は
水草修治師の『神を愛するための神学講座』だった

読書会を開いてくださった主事が
「僕の神学校の同室者が書いたものなんだ」と言いながら取り出したこの本が
表紙が取れるほどボロボロだったことを よく覚えてる。

しかし 見た目以上に 印象に残っているのは
序説に記されていた「神学の目的」の解説だ
神学は 自己満足のためにあるのではなく あくまで神賛美のためにあると読んだ時に
「痛いところをつかれた!」感じた

また 続けて主事が
「君たちにとって この学びが 高慢の種になるなら この学びはすぐにやめる」
と話していたことも、忘れることが出来ない

その後 予定がうまく合わず
読書会は 数回でたち切れになってしまったが
堅苦しそうに思える教理の学びを
日常的な言葉で 神学する喜びを味わえたのは 幸いなことだった



次に 読んだのは
J・I・パッカー著『神について(原題 Knowing God)』だ

GAになりたての頃
課題図書としてこの本を手渡された時
読書嫌いだった僕は かなり怯んでしまった

おまけに 中身もその質量に劣らず重厚なもので
読み終えるのにとても苦労したことを覚えている

ただ、一方で
労苦に見合う収穫もあった

 信じることと考えること
 信じることと生きること
 信じることと関わることについて
深めて 整理して 学ぶことが出来た。



神学校ではM・J・エリクソン著『キリスト教神学』が教科書だったが
それと並行して拾い読みしたルイス・ベルコフ著『改革派神学通論』や
ヘルマン・バヴィンク著『信徒のための改革派組織神学』
そして卒業後に出会ったトム・ウィルキンソン著『現代に生きる信徒のためのウェストミンスター信仰告白』には
理解を助けられただけでなく 提示の仕方も教えられた



もし仮に
今から準備をやり直すとしたら
J・I・パッカー著『聖書教理がわかる94章』を 選ぶだろう
(パッカー自身は
カール・バルト著『福音主義神学入門』を勧めていたようだが 僕は手に取ったことすらない…)



ただ
今あげてきたパッカー、ベルコフ、バヴィンク、ウィルキンソンは
どれも改革派陣営に属する人たちなので
(「改革派陣営」とは何かについては突っ込まないでほしい!)
異なる立場に立つ人たちにとっては
(実は僕もそうだが…)
適切な入門書とは言えないかもしれない



各派では どんな本を推奨しているのか?
実際に その道の人に尋ねてみるのも
旅の醍醐味だろう

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as a brother
最近 よく 受ける質問

「4月から何をするのか?」

僕は すぐに
週に三日 神学校で奉仕をする と答える
と…
「残りの日は?」と返ってくる…

至極自然な問いだけれども
こちらは 口ごもってしまう

すると
相手は 不安げな表情を浮かべる…

それを見て
こちらまで 心配になってくる



しかし
よく考えてみると
これまでも似たようなものだった

「何の仕事をしているのか?」
と聞かれると
「KGKの主事」と答える
すると 大抵
「主事って何をするの?」という質問が続くが
その問いには いつも返答に困った

一応
「学生が 神様に主体的に応答するために
 何でも する仕事です」
とは 答えるものの
とても ぼんやりしていた

これからは
「学生が」が取れて
「仲間が」に変わるぐらいだろうか?




いや...

「KGKの主事」という肩書きも 無くなる



ただ
そもそも
僕の育った教会には
「肩書き」のある奉仕者は
ほとんどいない

 誰であっても
 「○○兄弟」「○○姉妹」と呼ぶ

それが
この群れのポリシーだ

互いに「兄弟たち」と呼び合う
だから
brethrenというあだ名がついたのだ



言っていれば…
その原点に返るだけ
とも 捉えることができる






KGKは
僕にとって
学校のような場所だった

ここで 信仰と奉仕のイロハを学んだ

だから
この現場を離れるのは
とてもとても寂しいし
正直 怖いと感じる



けれども
KGKを卒業するわけじゃない



神様に 主体的に応え
近くにいる仲間と仕え合う

そんな昔から続けられてきたことに
これからも取り組んでいくだけだ



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関節と骨髄を分けるまでに...
今月の初め
出席教会でもたれた歓迎礼拝では
マタイの福音書11:28-30が開かれました

ここは
初めて参加した春期学校で
内田和彦先生が メッセージをしてくださった箇所でした



次の週の日曜日
CSのメッセージは
マタイの福音書16:13-19からでした
この箇所は
NET18の時に、主題講演の箇所に
私が 選んだところでした



続く礼拝の説教は
創世記28:10-22から

この御言葉は
GAとして準備した春期学校2007年で読んだ 懐かしの箇所



そして
2月の末から始まったNCでは
学生時代、主事時代の様々な場面が
思い出されました



こんなふうに
御言葉を開く度に
これまでの足取りを振り返る一ヶ月を過ごせたことは
幸せなことでした



御言葉は 常に生きたものですが
潜伏期間を経ても なお その生命力は失われていないとは…

恐ろしいものです

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レビ記25:20-22

あなたがたは、『もし私たちが種を蒔かず、また収穫もしないなら、七年目には何を食べればよいのか』と言うであろうが、わたしは六年目に、あなたがたのためにわたしの祝福を命じ、三年分の収穫を生じさせる。あなたがたが八年目に種を蒔くときにも、前の収穫をなお食べている。九年目まで、その収穫があるまで、なお前のものを食べることができる。



安息日を守ることは基本的にそうだけれども
ヨベルの規定に従うことは
決して 気楽なものではない

むしろ
恐怖と隣り合わせのもの

「何を食べればよいのか」という問いは
深刻で 切実なもの