朝のうちにあなたの種を蒔け

Ecclesiastes 11:6

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プロフィール

老松望

Author:老松望
KGK(キリスト者学生会) 関西地区(2011-2014年度) 東北地区(2015年度-) 主事

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卒業写真のおもかげがそのままだったから...
聖書信仰とその諸問題
聖書信仰とその諸問題



神学校に入って
3つの「逆説」について考えるようになった



1つは リベラルな聖書批評学が抱える逆説だ

「聖書批評学」という言葉は
本来 ニュートラルなものだ
急進的であることも出来るし
保守的であることも出来る

しかし
自由主義と呼ばれる陣営では
ある時代から
伝統主義を警戒するあまり
旧来の教えを乗り越えていく研究が
目立つようになった

本当の意味で
「自由」であるならば
聖書の歴史記述を素朴に信頼するという前提に立つことも
許容されてしかるべきなのだが
そのような立場は
次第に 傍流へと追いやられていった

やがて
学問的な巨人が登場し
彼らの打ち立てた資料仮説が
定説のように扱われるようになる

自由を希求していたはずの自由主義の中で
特定の学派 学説が
時代を席巻するという現象が起こったのだ

神学校時代には
先生からよく
「「旧約学」学に振り回されるんではなく
 旧約を学んでください」と言われた

それほどまでに
学会が硬化してしまっていたのだ
(少なくとも 一時代 一部の陣営においては...)



2つ目は 聖書学にまつわる逆説だ

聖書学では
自分の目で確かめることが
重んじられている

 他者の意見や
 自らの先入観に縛られることなく
 聖書から日々 新たに教えられていくこと
それが 聖書学の使命だ

当然
信仰的遺産 や 学問的成果と呼ばれるものさえ
検証の対象になる

その営みは
信仰者と教会のたえざる刷新に
欠かせない重要なものだ

ただ 聖書学は厄介なジレンマも抱えている

それは 行き過ぎた専門化の問題だ
(「専門化」自体が悪ではないのだが...)

例えば
聖書を歴史的文法的に解釈するためには
時代背景を研究しなくてはいけないが
それが ある程度の水準を超えると
多くの人は批評できなくなる

聖書言語の解明や
聖書時代の文化 宗教の分析には
同時代の 文書資料 考古学資料が用いられているが
これらを適切に取り扱うには
それなりの訓練が求められる

複数の言語の習得はもちろんのこと
資料をふさわしく解釈していくための
実地訓練を受けなければいけない

しかし
当然のことながら
ほとんどの解釈者は
そのような訓練の機会に
恵まれてはいない

結果的に
この分野に関することは
「自分の目で確かめること」ができなくなるのだ

釈義家は
受容するか
拒絶するか
の 二者択一を迫られることになる

僕も 神学生時代に
ウガリット語やエジプト語の象形文字のことが話題になった時などは
必死になってメモを取る以外に
何も出来なかった...

学問的に吟味する術を持ち合わせていなかったからだ

それは 今でも 変わらない



3つ目は パラダイム 枠組みに関するものだ

どんな時代 どんな領域においても
支配的な 思想的潮流というものがある
それらは 人々の視点や 解釈原理を方向づける

聖書学においても
「○○批評」「○○神学」と呼ばれる学問的仮説 方法論が いくつも提案され
トレンドを形作ってきた

そのような枠組みには
有用な点があるに違いないが
同時に テキストそのものに向き合うことを 邪魔することもある

では
そういったパラダイムと
どのように付き合えば良いのだろうか?

「あるがままに」聖書を読むことを強調する人たちの一部は
批判的 拒絶的な立場を取る
特定の原理では 十分に説明できない事柄を拾い上げ
自分自身は そのスタンスは取らないと宣言する

なるほど...
安易に流行に流されないのは
良いことだ!

しかし
悲しいのは
そこから 代替案が提示されないことだ

例えば
僕の神学校では
ディスペンセーション主義
否定的に紹介されることが少なくなかった
(神学生の中には「ディスペンセーション主義=異端的な教え」と勘違いしている者もいた...)

僕自身も
古典的なディスペンセーション主義には 違和感を覚えていたので
そのことに不満はなかったのだが
代わりのものが 示されないことに
釈然としないものを感じていた

結果的に
全体を結びつける筋道が見えず
ひたすら 断片的な知識が 蓄積されていく感じがしていた
(そのようなフラストレーションが
僕を『神の契約』や『神の国と教会』のような本に向かわせたのだと思う...)






新主事研修の準備のために 手に取ってから
一ヶ月ぐらいかけて
ダラダラと読み進めてきた『聖書信仰とその諸問題

率直な読後感は
「懐かしい」だった

「逆説」を意識し始めた神学生の頃を
ありありと思い出した



 硬派で 一本気な スタイルに
 憧れ 励まされつつも
 時折 ついていけないものを感じていた

 まるで 娘の彼氏を 初めて迎える頑固親父のように
 「他者」に警戒心をあらわにする姿に
 愛着と歯がゆさが入り混じった感情を抱いていた



突っ込みどころが満載なのにもかかわらず
筋が通っている 愛すべき先生たち

 

そう

僕は
ここで
この人たちの元で
育てられたんだ



言いつけを守らない
聞き分けの悪い教え子だが
学び舎に対する愛着は失っていない

だからこそ
これからに
これからに 期待している



【関連書籍】
ジェームズ・モンゴメリー・ボイス編 『聖書の権威と無誤性
藤本満著『聖書信仰
JPC編集委員会編『新しい時代をひらく信仰(JPC双書 2)
C. ノーマン・クラウス 家名田弘編『伝道 福音派 福音主義

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カルヴァンを煩わす者?
マクグラスは『キリスト教神学入門』の
「聖書の霊感についての説」の項で
カルヴァンについて
次のように述べている

「カルヴァンの主張によれば、聖霊は聖書を通して働く(急進派の人々が言うように、聖書を素通りしてしまうのではない)のであり、また、聖霊は聖書に霊感を与えることで聖書に直接の権威を授けたので、その権威を外的に支持するもの(例えば、教会からのもの)は必要ないのである。
 この点は重要である。というのも、ここから示されるのは、宗教改革者が霊感の問題を聖書本文の絶対的な歴史的信頼性や事実に関しての無謬ということと関連したものとは見ていなかったということだからである。カルヴァンの適合の教理が示しているのは、神が自らを啓示するにあたって、この啓示を受け止めるべき共同体の能力に応じた形式でするということである。」
キリスト教神学入門』p.245より



一方で
ジョン・マーレー
このように主張している
「極く控え目に言っても、カルヴァンが、聖書の著者たちは「われわれが彼らから教えられて知っていることを口から出まかせに語ったのではなかった」、聖書には「人によるものは何も混入されていない」、筆者たちは「語ったのは主の口であったと、恐れることなく証言した」、聖霊は「ご自分の聖所にあるように彼らの口にあってご支配をされた」と、非常に明白に主張したということは、もし彼の霊感についての概念を言葉の細部にまで、また、われわれが口から出まかせの陳述と言っているようなものにまで適用しなければ、奇妙で不可解なことになったであろう。カルヴァンによれば聖書には口から出まかせの陳述といったものはない。なぜなら、著者たちは、口から出まかせに語ったのではなく、つねに、神によって動かされて語ったからである。さらに、彼が聖書に無益または無価値なものがあると考える不敬虔について忠告していることを思い起こさねばならない。聖霊はわれわれに知らせようとしておられるすべてのことを聖書において教えられたのであり、教えられたすべてのことは経験の増進に貢献する。」
「第一章 カルヴァンの聖書論」『カルヴァンとウェストミンスター』p.23より



死後に 手紙や日記を掘り起こされるのも
たまったもんじゃないが
本人が 立ち会うことのなかった神学的論争に
引っ張り出されるのも
不本意 なのかもしれない



偉人も
大変だ...



カルヴァンとウェストミンスター
カルヴァンとウェストミンスター

【関連書籍】
A・I・C・ヘロン編『ウェストミンスター信仰告白と今日の教会
袴田康裕著『信仰告白と教会
ポール・ヘルム著 『カルヴァンとカルヴァン主義者たち

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神学校の入学準備をやり直すことが出来たなら 番外編 ー神学校の推薦図書ー
ある改革派教会の先生から
米国のReformed Theological Seminaryの推薦図書のページを紹介していただいた

見てみると
こんな内容だった↓
RTS Recommended Reading List

試しに邦訳されているものだけ
あげてみると
以下のようになる
(ちなみに、組織的に調べたわけではないので勘違いしていたり
抜けてしまっている可能性も十分にありうる...)

聖書の内容 聖書解釈
ヴォーン・ロバーツ著『神の大いなる物語』いのちのことば社

霊的成長 召し
アウグスティヌス著『告白
ジョン・バニヤン著『天路歴程 正篇』新教出版社
J・C・ライル著『キリスト者の聖潔

組織神学
J・I・パッカー著『神を知るということ』いのちのことば社
J・I・パッカー著『聖書教理がわかる94章』いのちのことば社
ルイス・ベルコフ著『キリスト教教理の要約』日本キリスト改革派教会四国中会
B.B.ウォーフィールド著『聖書の霊感と権威』小峯書店
ジョン・マーレー『キリスト教救済の論理』小峯書店
松谷好明訳『ウェストミンスター信仰規準<改訂版>』一麦出版社
ジャン・カルヴァン著『キリスト教綱要』新教出版社

哲学とクリスチャンの思想
ヨースタイン・ゴルデル著『ソフィーの世界』NHK出版
トーマス・S・クーン著『科学革命の構造』みすず書房
アブラハム・カイパー著『カルヴィニズム』聖山社

教会史
アリスター・E・マクグラス 著『キリスト教思想史入門』キリスト新聞社
P.ブラウン著『アウグスティヌス伝』教文館
ベルナール・コットレ著『カルヴァン 歴史を生きた改革者』新教出版社
J・N・D・ケリー著『初期キリスト教教理史』一麦出版社
J.ペリカン『キリスト教の伝統』教文館

弁証論
C. S. ルイス著『被告席に立つ神』新教出版社
ジョン・M・フレーム著『キリスト教弁証学入門』日本長老教会文書出版委員会

宣教と伝道
J・I・パッカー著『伝道と神の主権』いのちのことば社
John Stott, Christian Mission今日におけるキリスト者の宣教』いのちのことば社所収
ラルフ・D・ウィンター, スティーブン・C・ホーソーン編『世界宣教の展望』(抜粋訳)いのちのことば社

説教学
ハッドン・W.ロビンソン『講解説教入門』聖書図書刊行会

牧会とリーダーシップ
オズワルド・サンダーズ『霊的リーダーとなるために』いのちのことば社
ウィリアム・スティル著『牧師の仕事』いのちのことば社

キリスト教カウンセリング
ジーン・エドワーズ著『砕かれた心の輝き 三人の王の物語
H. J. M.ナウエン著『傷ついた癒し人』日本キリスト教団出版局

その他
M. J. アドラー, C. V. ドレーン著『本を読む本』講談社学術文庫
マルチン・ルター著『奴隷的意志について』ルーテル学院大学ルター研究所ルター著作選集
R. B. カイパー著『聖書の教会観』小峯書店



30冊以上も
翻訳されているということに
驚きを隠せないが
聖書学に関する本が少ないのは気になるところだ...

ちなみに惜しいものをあげるとするなら
次の6つ
 F. F. Bruce, New Testament History
 Cornelius Van Til, Christian Apologetics
 Allen Rolland, Missionary Methods: St. Paul's or Ours?
 Jay Amas, Preaching with Purpose
 Eugene Peterson, Working the Angels The Unnecessary Pastor
これらの邦訳はないが
同じ著者のこれらのものは出ている↓

F.F.ブルース著『初代キリスト教の歴史』聖書図書刊行会
コーネリウス・ヴァン・ティル著『改革派キリスト教弁証論』聖恵授産出版部
ローランド・アレン著『聖霊に強いられて』聖公会出版
ジェイ・E・アダムズ著『説教 : その組立と話し方』いのちのことば社
E. H. ピーターソン著『牧会者の神学』日本キリスト教団出版局

それと
ラリー・クラブの『教会の働きとカウンセリング』という本が出版されているが
原書のタイトルがわからないので
Inside OutConnectingが翻訳されているかどうかは不明...



他の神学校のHPでも
このような推薦図書を紹介しているかは 調べていないが
日本の神学校のHPでも
掲載してみれば良いんじゃないだろうか?

推薦図書を通して
あらかじめ その学校の強調点や校風を知っておくことは
入る側にとっても 迎える側にとっても
益となるはずだ

Category: 気になる本  Tags: ---

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Christ and Culture
今晩は 教会で
月一回の『キリスト神学入門』読書会

担当の青年の発表は
簡潔で 的確
そして
疑問点がはっきりしているという点で
とても 優れたものでした



その中で
個人的に
心に留まったのは
「キリスト教神学と世俗文化の関係」の項

「古代教会における最も重要な論争の一つは、キリスト者は詩や哲学や文学という古典世界の膨大な文化遺産をどの程度まで自分のものと出来るのかということであった。...これは、キリスト教が古典の遺産に背を向けるのか、それともそれを修正した形にしても、自分のものにするのかという問題を提起したからである。これは重要で興味深い事柄なので、この論争に貢献した最も重要な著作のいくつかを広く引用することにしたい。」
A・E・マクグラス著『キリスト教神学入門』pp.39より

ここを読んでいて
思い出されたのは
「文化に対するキリスト」「文化のキリスト」「文化の上のキリスト」「矛盾におけるキリストと文化」「文化の変革者」
というニーバーの類型

以前から
積読状態だった『はじめてのニーバー兄弟』を
手に取ってみたくなりました



でも
今は 途中で止まっている本が
たくさんあるため
さすがに もう一冊は 加えられません

当分
そう
当分はお預けです...

あぁ...



はじめてのニーバー兄弟
はじめてのニーバー兄弟

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意欲的な取り組み
昨晩 訪問したA大の聖書研究会には
この春から
求道者の新入生が参加するようになりました

今、定期的に関わっているメンバーで
一番年下なのは3年生なので
彼女は 待望の新人です



その彼女のために
先輩たちが始めたのは
聖書の概説

聖書の神の歴史

この全体像を用いながら
順番に 聖書のストーリーを
説明しているようです

昨日は
出エジプト記の回

突然
「老松さん 簡単に話してもらえますか?」
と 言われ テンパりましたが
頭をフル回転させて
必死に説明しました

少し 遡って
創世紀12章を開いて
アブラハム契約までと
アブラハム契約からを概観し
これらと 出エジプトまでの出来事を結びつけて
話をしました

台本(原稿?)なしのわりには
落ち着いて話ができたように思います



ただ
昨日の時点では
海を割るところまでしか
辿りつきませんでしたので...
先は
まだまだ長そうです...

【東北地区の祈祷課題はこちらです】
http://www.kgkjapan.net/prayer.html#tohoku

【ご支援のお願い】
今後も学生伝道の働きが全国で安定して展開していくことができるよう、継続的なご支援をお願いいたします
http://www.kgkjapan.net/for_supporters.html